国際仏教シンポジウム「UPEKSHA」での発表を通して

インドでヨーガの博士課程

国際仏教シンポジウム「UPEKSHA」

2025年5月12日、仏陀の誕生・悟り・入滅を祝う吉祥な日「ウェーサーカ」に、インド・アーンドラ大学とスリランカ・スリ・ジャヤワルダナプラ大学が共催する国際仏教シンポジウム「UPEKSHA」が開催されました。

この学術的にも文化的にも重要な場で、私は以下の研究発表をさせていただきました:

Integrated Yoga Practices in a Buddhist Monastery in Ladakh, India: A Psychosocial Case Study among Nuns and Women

インド・ラダックの仏教尼僧院における統合的ヨーガ実践:尼僧と地域女性を対象とした心理社会的ケーススタディ

この研究は、ラダックの尼僧院(Ladakh Nuns Association)において若い尼僧たちがどのようにヨーガを取り入れ、心と体の変化を体験していったかを記録したものです。詳細については筑波大学から発行されている『筑波みんなのヨーガ』6月号にも掲載予定ですので、発行後に改めてシェアさせていただきます。

仏教は人生の羅針盤

このシンポジウムには、仏教僧侶や研究者だけでなく、ヒンドゥー教徒の学生や市民の方々も多数参加しており、「仏教は人生の羅針盤であり、誰にとっても学びになる」という声が多く聞かれました。

基調講演では、スリランカの著名な学者による「アシュターンガ・マルガ(八正道)」の説明があり、仏教は決して悲観的ではなく、理性的で実践的な哲学体系であることが改めて強調されました。とくに、「感受・認識・形成・意識」という四つの要素が、人間の心のはたらきを理解するうえで重要であり、これを“覚える”だけでなく“実践する”必要があるというお話が印象的でした。

ヨーガ・仏教・ソーワ・リグパの共通基盤

自分の発表を振り返りながら、今回のシンポジウムを通して強く感じたのは、ヨーガ、仏教、そしてチベット伝統医学(ソーワ・リグパ)が共有する深い哲学的基盤の存在です。これらはそれぞれ異なる技法や歴史的背景を持ちつつも、共通のインド思想に根ざしています:

  • ドゥッカ(苦):人生には避けがたい苦しみがある
  • カルマ(業):すべての行為は因果の法則に従う
  • アヴィッディヤー(無知):真理を知らないことが苦の根本原因
  • モークシャ/ニルヴァーナ(解脱):そこから自由になることが究極の目的

このような共通性から考えると、ヨーガは決して仏教やチベット伝統医療と相反するものではなく、むしろそれらを補完し、支える実践体系として活用できるのだと強く感じています。

宗教や文化を超えて「よりよく生きる知恵」としてのヨーガ

現在私は、アーンドラ大学の学生寮で、ヒンドゥー教やイスラム教を信仰する学生たちとともに毎日夕方のヨーガの実習を続けています。そこでは宗教や文化の違いを超えて、ヨーガが人々の心と体、そして社会にやさしく寄り添う道として機能していることを日々実感しています。

ヨーガは、「身体技法」や「エクササイズ」を超えて、苦しみを和らげ、心の静けさを取り戻すための共通言語である、と。これからも、そうした可能性を丁寧に見つめ、実践していきたいと思います。

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