はじめに
みなさん、サワディカー/こんにちは。今日もバンコクから竹内です。只今ラオス行きの夜行バス乗り場にいます。前回の記事に多くの反響・メッセージをいただき嬉しく励みになっています。
さて今回はWHOヨーガ・ガイドライン解説シリーズ第4弾、テーマはズバリ第1章概要の1.2ヨーガの定義です。ヨーガ愛好家の私たちにとって、共通した定義を押さえておくことはヨーガの基礎基盤を築くためにとても大切です。土台さえしっかり築いておけば、自律的で持続可能な成長が期待できます。
第1章 概要
- 1.1 ヨーガ入門
- 1.2 ヨーガの定義
- 1.3 ヨーガの歴史と発展
- 1.4 ヨーガの特徴
- 1.5 伝統的なヨーガの流派/系統
- 1.6 ヨーガに関する伝統的なテキスト
- 1.7 文化的影響
- 1.8 ヨーガの健康効果
- 1.9 ヨーガに関する誤解と事実
ヨーガにまつわる個人的な定義と文献的な定義
さて、今日のテーマは「ヨーガの定義」です。つまり「ヨーガとは?」ということですね。
さて、みなさんにとってヨーガとは何でしょうか?この答えはもしかしたら100人に聞くと100通りの答えが返ってくるかもしれません。なぜならヨーガは一人一人のライフスタイル/人生そのものに寄り添う個人的なものだからであり、答えが違うのも至って自然なことです。
ただここで少し私の経験を交えてお話したいのですが、私が初めてインドへ行ったのは2013年のリシュケーシュです。そこでツーリスト向けのスタジオにいくつか通っていたのですが、どの先生もヨーガの定義が違い、結局ヨーガとは何かが全く理解できなかったという経験があります。この原因はこれらの先生がみな自分にとってのヨーガの定義を話していたからです。友人や家族と話す際や雑談では問題ないわけですが、ヨーガをこれから学ぼうとしているスタート地点から、各先生の個人的なヨーガの説明をされたのでは混乱を招いたり、知識や認識が偏る原因となります。
そしてもちろん今日ここで扱うのは、個人的なヨーガの定義ではなく、ヨーガ愛好家がみんなで共通認識しておくべき文献的定義の部分です。
ヨーガの定義が記載される重要なテキスト
ヨーガは様々な文献で異なった定義がされています。
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ヨーガの定義を確認する上で、いくつかの重要なテキストがあります。その例を以下に挙げます。
- 『アシュターディヤーニー』
- 『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ/パータンジャラ・ヨーガ・スートラ』
- 『バガヴァッド・ギーター』
- 『ヨーガ・ヴァーシシュタ』
- 『カタ・ウパニシャッド』
『アシュターディヤーニー』はサンスクリット語の文法学者パーニニによって書かれた文法書ですが、インドの教育機関ではこの文献を参照したヨーガの語源的定義から入ります。
次の『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ』はインド哲学(六派哲学)の一つであり、ヨーガにおける最重要テキストです。ここにはヨーガの定義、およびヨーガの原理原則が系統的にまとめられています。
そしてインドの叙事詩『バガヴァッド・ギーター』には魅力的な物語とともにヨーガの定義が複数出てきます。
その他『ヨーガ・ヴァーシシュタ』や『カタ・ウパニシャッド』に出てくるヨーガの定義も、上記の次にぜひ押さえておきたい部分です。
今回WHOヨーガ・ガイドラインでは、主に『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』の定義が扱われていますのでこの二つの文献を中心に見ていきたいと思います。
『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ』に於けるヨーガの定義
パタンジャリは彼の『ヨーガ・スートラ』の中で、「ヨーガとは、心の作用(ヴリッティ)をコントロール/抑制することによって、落ち着かない心を落ち着かせる方法である」と説明している。
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- yogaś-citta-vṛtti-nirodhaḥ ॥2॥
- ヨーガシュ チッタ ヴルッティ ニローダハ
- ヨーガは心(チッタ)の作用(ヴルッティ)をコントロール/抑制(ニローダ)することである。
ひとまずサンスクリット用語の細かい部分はさておき、ここで押さえたいところは、ヨーガのメインテーマは心であるということです。ヨーガは心を落ち着かせることが目的であり、そのための技法です。ヨーガは不安的な心を、安定させる方法なのです。
よって、エクササイズをするもの心を安定させるため、体でポーズをとるのも心を安定させるため、呼吸法を行うのも心を安定させるため、瞑想を行うのも心を安定させるためです。さらには心が安定するための食生活、行為/行動、社会生活も意識していきます。
ちなみにアーサナ(ポーズ)実習は、身体が柔らかくないとできない、ポーズの完成形をとることが大切だと思って見える方がみえますがそれは誤解です。アーサナ実習の目的は、その実習を通じて身体の余分な緊張を緩和し、それと同時に心の緊張を解いていくことです。それにより心身が安定し、健康も増進、身体もスッキリ軽く感じられるはずです。伝統的なアーサナ技法は、エドモンドジェイコブソン(1888 – 1983)が提唱した漸進的筋弛緩法に近いものがあります。これは心身症の治療にも有効なテクニックです。このようにヨーガのアーサナ技法は心にアプローチすることが主題であり、有酸素運動や筋トレと異なった特徴があります。
また同じヨーガ・スートラにはヤマ・ニヤマという倫理的規律についても述べられています。これには自他を傷つけない、誠実にある、盗まないなどの項目が含まれます。マハーリシ・パタンジャリによると、これらの実践も結局は自分の心が落ち着く/安定することにつながるというのです。例えば誰かを傷つけてしまった時は後悔や自己嫌悪で心が動揺します。心の動揺を最小限にとどめ、日々穏やかに過ごすための人間関係のヒントもヨーガ・スートラには記されているのです。
チッタ(Chitta)という用語は、心の全体性を示しており、物質(原初の自然またはプラクリティ)からの最初で最も微細な展開として捉えられている。多くの思索の後、学識ある リシ(賢者)たちは、チッタは本来の姿ではサットヴァ・グナに支配されているが、多様な情報源からの雑多な入力のために乱れて、不安定になる、と結論付けた。この不安定な心 (チッタ)は人生に悲哀をもたらす。 古代のリシたちは、不安定な心(Chitta)を安定させる道具としてヨーガが活用できることを発見した。
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この部分を解説しようと思うと、サーンキャ哲学、ヨーガ哲学、グナ理論に触れる必要がありますが、それは追々としてここでは簡潔な説明にとどめておきます。ヨーガ哲学では心のことをチッタと呼びます。そしてこの心(チッタ)は本来の安定した状態にあると、純粋で、知性に溢れ、物事を正しく判断することができるとされています。しかし内外からの影響で心に動揺が起こりバランスが乱れると、正しい判断がつかなくなったり、本来とりたい行動が取れなくなったりするわけです。「欲求にかられ、つい判断を誤ってしまった」「動揺してカッとなり、つい相手を傷つけることを言ってしまった」というような経験は、誰もがあることだと思います。
そんな時私たちは、後悔や自責の念に苦しみ心に痛みを感じます。ヨーガではこのような心の痛みを防ごうと、心が動揺しないように、もしくは動揺した心が元の状態に速やかに戻れるよう試みます。これがパタンジャリの定義である「ヨーガとは、心の作用(ヴリッティ)をコントロール/抑制することによって、落ち着かない心を落ち着かせる方法である」という部分ですね。
さらにヨーガ哲学では、そもそも「なぜ心が動揺するのか?」という根本原因についても説明され、その解決にまで切り込んでいこうと試みます。根本原因を解決できたら、途切れることとない、永遠の至福の状態に至ることができるとも述べられています。古代のリシ(賢者)が経験した永遠の至福、一体どんな状態なのでしょうか。ぜひそんな状態に一歩でも近づきたいものです。
『バガヴァッド・ギーター』に於けるヨーガの定義
『バガヴァッド・ギーター』は、ヨーガを「平静な心」(サマットヴァム)と「巧みな行動」(カルマス・カウシャラム)(6)によって特徴づけられる状態と定義している。 また、自分の行いの成果を期待することなく、無私的に行為を行うことも提唱している(ニシュカーマ・カルマ)。
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『バガヴァッド・ギーター』は、インド二大叙事詩の一つである『マハーバーラタ』第6巻の一部で、ヨーガの主要テキストとみなれています。これはヒンドゥー教の思想に基づいていますが、その内容は国や宗教によらない普遍的なメッセージも含みます。この中にはヨーガの定義が複数出てきますが、ここではその内「平静な心」(サマットヴァム)と「巧みな行動」(カルマス・カウシャラム)という2つについて述べられています。
サマットヴァン(5)とは、人生の成功や失敗、悲しみや喜び、損失や利益、受け取ることや与えることなど、さまざまな状況において、影響を受けない心の状態のことである。 この平静さは、人を不均衡から解放し、安定してリラックスした状態にあることに役立つ。
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- samatvaṁ yoga uchyate ||(II-48)
- ヨーガは平等の境地である。(B.G Ⅱ-48 上村勝彦訳)(5)
このシュローカや厳密な言葉の意味を理解するには『バガヴァッド・ギーター』のストーリーや前後の文脈をある程度理解しておく必要があるのですが、文量の関係からここでは割愛します。
サンスクリット語の「サマットヴァム」は日本語で「平静さ」や「平常心」と訳されることがあります。どんな状況でも冷静な態度を崩さず、平静さや平常心を保つこと、それがヨーガであると定義されています。ついつい日常生活では楽しいことを追い求め、悲しいことを避けようとするものですが、ここでは喜びや悲しみに左右されず、内面を平静に保つことに重きが置かれています。仕事の成功や失敗、損失や利益に関しても、その状況を受け入れ冷静さを見失わないよう努めていくのです。常に冷静でありたい、平常心を持ち続けたいというのは禅文化が根付いた日本人にとっても共通する価値観ではないでしょうか。
また「サマットヴァム」は文脈によって「中庸」「バランス」「調和」などと訳されることもあります。何事も極端を避け、自分なりのバランスを見つけ、自分自身および環境との調和を構築していくことがヨーガであるとされています。そしてこのように自分の心を向けていければ、心が安定し、常にリラックスした状態でいられると説明されています。これらについてはヨーガと心理学やストレスマネージメントとの関連でよく取り上げられます。
『バガヴァッド・ギーター』で説明されている「カルマス・カウシャラム(行為の巧みさ、卓越した行為)」とは、行為や義務を器用に遂行することを意味する。 人は、その結果に対する期待や執着することなく、利用可能な正しい手段を用いて最善を尽くすべきである。(7)
したがってヨーガは行動における卓越性/巧みさであると言える。
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- yogaḥ karmasu kauśhalam ||(II-50)
- ヨーガは諸行為における巧妙さである。(B.G Ⅱ-50 上村勝彦訳)(6)
ここでは日常生活の行為や義務に取り組む中で「行為の結果を期待しない」という態度がヨーガだとしています。私たちは何か行動する時にはいつも、大抵その結果や見返りを期待していますよね。しかしそういった結果や見返りを求める気持ちが、自分の中に過剰な緊張を作り、不安を高め、自分を苦しめる原因なると『バガヴァッド・ギーター』に述べられています。
私は個人的にフィギュアスケートを観るのが大好きなのですが、決勝戦前のインタビューで「メダルのことは考えず、最高の演技をすることだけに集中したいと思います。」と言っているのをよく耳にします。そして実際そのように「今の行為/演技」のみに集中できた場合には、選手の最大限の能力が発揮され、最高の演技につながるわけです。もちろんそんな演技は観客を魅了し、結果も自ずとついてくることとなります。これはスポーツの場面だけでなく仕事、面接、試験などあらゆる場面に当てはまることです。
またこれ以外にも日常生活において結果や見返りを期待するという例はなんと多いことでしょう。そして期待する結果が得られない、見返りが返ってこないことで欲求不満や葛藤が生じ、怒りや憤りとなって相手を攻撃することもあれば、鬱や不安症として現れることもあります。「行為の結果を期待しない」という態度の実践は難しいですが、まずはそんな心の動きを自覚することが変化の始まりとなります。
(7) Karmanyewadhikaraste, ma faleshukadachana// (バガヴァッド・ギーター[B.G] -11.47)
ヨーガの究極の目的
ヨーガの究極の目的は常に同じであり、それは完全な自由と解放(モークシャ)につながる、バランスのとれた統合された存在・意識の状態(サマーディ・バーヴァナー)に到達することである。 自己に働きかける習慣的な実践(スピリチュアル・ヨーガ)によって、個人は自己の光明を得ることができ、それは 自己実現へとつながり、「解脱の感覚」(モークシャ)を生み出し始める。
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繰り返しになりますがヨーガはインド哲学に基づいています。そしてヨーガ哲学を含むインド哲学は、人間の究極の目的である完全な自由と解放を探求していきます。輪廻転生からの解脱がテーマであり、本来は解脱を妨げる根本原因の無知を取り除くための方法がヨーガ修行/実習となります。
こんな話を聞いて、その壮大さに圧倒される方もみえるかもしれませんが、このような側面が含まれることを知っておくことは全体を把握するために大切です。
現代社会に生きる一人ひとりのニーズを満たす
それに加えて、ヨーガは人生の需要や必要性に応じて、短期的に変化する人生の目標を達成するのにも役立つ。 健康状態の改善、思考の明晰さなどは、そのような短期的な目標の例である。 短期的な目標は、人生の局面によって変化し続ける。 そのため、短期的な目標、ニーズ、要求を満たすために、様々なヨーガの伝統によって、多様な実践的アプローチが規定されている。
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上記のような側面がある一方で、ヨーガは現代社会に生きるすべての人に寄り添い、一人ひとりのニーズに合わせた健康的な効果や目標をサポートしてくれる実践でもあります。上記でみた「完全な自由と解放」は、「究極の健康な状態」とも言い換えることができます。これは身体的、心理的、社会的、および精神性すべてのバランスのとれた状態です。そんな究極の健康への旅路の中で、それぞれのニーズや目標に対して、自分なりの方向性や解決方法が見つかるはずです。
伝統的なヨーガの3つのタイプ/側面
伝統的に、ヨーガには3つのタイプがあるとされている。
1.「 物質的ヨーガ」(バウティカ・ヨーガ)(8):
5つの感覚器官(パンチャ・ジュニャーネーンドリヤ)と適切な運動器官(パンチャ・カルメーンドリヤ)の機能を用いて、外界の様々な対象や出来事、現象と向き合うヨーガ。
2. 「精神的ヨーガ」(アディヤートミカ・ヨーガ)(9):
自己認識に働きかけることによって、「自己」と作用するヨーガ。 バランスよく統合された状態(Samahita Chitta)であることもあれば、乱れた状態(Vyutthita Chitta)であることもある。 通常、「ヨーガ」として研究され、理解され、発表されるのはこのタイプのヨーガである。
3. 「超越的ヨーガ」(パルマールティカ・ヨーガ):
時折、ある種のインプットが、自分自身を忘れる普遍的な意識の状態を生み出し、自分自身や、周囲の客観的な物質世界を忘れさせる状態に導くところのヨーガ。
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ここではヨーガには伝統的に3つのタイプがあると述べられています。物質的なヨーガ、精神的(スピリチュアル)ヨーガ、そして超越的ヨーガです。これは異なる3つのヨーガというより、ヨーガの3つの側面と捉えることができると思います。それぞれの焦点が自分の外側、自分の内側、そして自分を超えた普遍的な意識の状態にある場合に分類されています。
1つ目の物質的ヨーガは、一般的な教育プログラムにもあるような、人としての振る舞い方やコミュニケーション、様々な人間関係、環境問題への意識などが含まれます。
2つ目の精神的(スピリチュアル)ヨーガは、自分の内面を徹底的に観察していきます。自分が良い状態にあるのか、乱れた状態にあるのかを常に自覚し、その背景にある内側の感覚や反応を観察していきます。そして自分が良い状態、本来の自分に向かっていけるよう、行動変容をとっていきます。
3つ目の超越的ヨーガは、自分/自我の枠を超えた意識の状態について述べられています。超越的という言葉の如く、言葉での説明が難しい領域となります。この部分は各種インド哲学やヨーガ哲学、および仏教を学ぶことによりそのコンセプトを理解することができます。
これらはどれか1つのタイプに偏るのではなく、常に3つの側面を意識しておく必要があるということですね。「会社では人望も厚く成績も優秀だが、心身が疲弊している」「ヨーガによって健康は維持してるが、犯罪を犯している」「瞑想実践はしているが、社会から孤立している」このような偏ったケースは、もっと幸せになれるはずの自分のポテンシャルを活かしきれていない状態です。ぜひこの機会に3つの側面すべてについて認識しておきましょう。
- (8)既存のさまざまな教育プログラムは、個人がキャリアを築き、外界(身体の外)で生活することを助ける。 ここで個人は、感覚器官や運動器官を通して、身体外の自然や人工物、出来事、現象とつながり続ける。
- (9)時折、人は空腹、喉の渇き、膀胱や大腸の膨張、痛み、感染症、炎症、精神的な動揺など、身体の内部から生じるさまざまな「入力/インプット」によって、「自分が乱れた状態」(アートマ・スティティまたはチッタ・アヴァスター)に気づくことがある。 これらの「入力/インプット」に反応して、個人はこれらの「入力/インプット」を取り除くための行動/振る舞いに走り、ライフスタイルやある種の個人的習性のようなものを身につけようとする。
まとめ
さて今日は様々なヨーガの定義を見てきました。これらの定義にすでに親しんでいる方も見えれば、初めて聞くという方も見えるかもしれません。しかしこうやって全ての方と一緒にこの『WHOヨーガ・ガイドライン』でヨーガの基礎を確認できることが嬉しく思います。本日もここまで読んでいただきありがとうございました。
次回からは歴史と発展について見ていきましょう。