はじめに
前回にご紹介したラオス国立博物館に引き続き、ラオスの首都ヴィエンチャンを訪問した際に訪れた、タート・ルアン、パトゥーサイ(勝利の門)、ワット・シーサケート、ワット・シームアンについて簡単にご紹介できればと思います。
ラオス国立博物館について紹介している前回の記事はこちらです。
タート・ルアン
タート・ルアンはラオスを代表する仏塔のひとつで、ラオスのシンボルとして国章にもタート・ルアンが描かれています。
タート・ルアンは紀元前3世紀にブッダの胸骨を納めるため、インドから派遣された僧侶により建立されたという伝承もありますが、定かではないとのこと。その後廃墟となっていたところ、16世紀にラーンサーン王国のセーターティラート王(1534年 – 1572年)により修復、改築されています。
そんなセーターティラート王の座像がタート・ルアンの入り口前に設置されており、存在感を放っていました。セーターティラート王は当時の都ルアンパバーンから現在のヴィエンチャンに遷都した王としても有名です。
仏塔は45mの高さがあり、黄金に光り輝いています。周囲は美しい芝生に囲まれ、敷地内全体が穏やかな雰囲気に包まれていました。ついつい裸足で歩きたくなってしまいそうな芝生でした。
周囲は博物館として様々な展示物があります。多くの板碑、仏像、絵画はどれもラオスの歴史を感じられる見応えあるものでした。
またタート・ルアンのすぐ南側には、金の涅槃像があります。こちらとても美しい仏像でした。また仏陀とハヌマーンの一場面も表現されており非常に興味深かったです。
私は今回訪問していないのですが、北側にはワット・タートルアンヌアという宮殿があるようです。次回はぜひ訪ねてみたいと思います。
パトゥーサイ(勝利の門)
こちらのパトゥーサイはパリの凱旋門を参考に建設されたとのこと。パトゥーサイという言葉は「勝利の門」という意味で、1954年に外国軍がラオスから撤退したパテート・ラーオの勝利を記念して1960年から建造が開始されたと言われています。またラオス内戦犠牲者の慰霊碑としての意味も込められているとのこと。
今回は外観を見ただけですが、中にはお土産屋さんなどもあるようで、屋上からヴィエンチャンの街が一望できるようになっています。また北側には中国による資金援助で完成したという噴水がありました。こちらも観光客や家族連れのフォトスポットとして賑わっていました。
ワット・シーサケート
ワット・シーサケットは、建立当時の様式を保っているという点でビエンチャン最古の寺院とされています。建立は1551年にセーターティラート王によるとされています。その後他の寺院と同様に戦乱に巻き込まれ破壊されていますが、1818年に再建された際に建設同時の姿を再現しているとのことです。本堂の優美な屋根はルアンパバーン様式、本堂はヴィエンチャン様式となっています。
本堂内には2052体に及ぶ仏像が並んでいます。本堂は写真が禁止となっていました。
また回廊に多くの穴が空いているのですが、その数なんと3420個とのこと。その中に小さな仏像が仲良く2体ずつ納められています。
また周囲にも数多くの仏像が鎮座しており圧巻でした。ただ多くの仏像には頭や腕がないものがあり、戦乱の痕を残していました。これは眼球に埋め込まれていた宝石や装飾品が持ち去られた跡とのこと。
このような仏像姿を見ながら当時の戦乱を思うと、ラオスでよく見かける「平和のため論争を止めるポーズの仏像」の意味を痛感します。ラオスはベトナム戦争にも巻き込まれ多くの被害を受けています。アヒンサー(非暴力)への意識はヤマの一番初め、すなわちヨーガ・スートラでも一番初めです。ひしひしとその大切さを感じました。
ワット・シームアン
ワット・シームアンは地元の方でとても賑わっている印象を受けました。ここはラオスで最も美しいとも言われる寺院とのこと。建立は1563年にセーターティラート王によるとされています。
こちらの寺院には伝説が残っており、建設時に神に捧げる人身供養(生け贄)が必要となった際に、シーという若い妊婦が自ら名乗り出て自身と子の命を捧げたことで、難工事が乗り越えられたそうです。その所以にて寺院名が「シーの街」を意味する「シームアン」になっているとのこと。そのため女性の参拝者が多いそうです。この日も儀式を受ける女性の参拝者を見かけました。
日本とラオスの関係
街中を歩いていると、ところどころに日本の国旗を見かけました。こちらのヴィエンチャン道路1号線にある記念碑はラオスと日本の友情を改善するための日本政府の助成金を記念するために設置されたとのこと。これをきっかけに関係は改善に向かっているとのこと。
街中には日本から寄付された緑色のバスも目立っていました。これは日本の無償資金協力「ビエンチャンバス公社運営能力改善プロジェクト」の一環で導入した緑色のいすずのタイ製バスとのこと。
さいごに
またヴィエンチャンではラオスの国旗とともに、共産主義の旗が一緒に掲げられていました。
また現在ラオスは中国に経済依存している構図となっていますが、街中にも中国の存在を強く感じました。
今後どのような展開を見せていくのか注目し続けていきたいと思います。次回は世界遺産の街ルアンパバーンについて紹介していければと思います。