今年はタイで年末年始を過ごすことになりました。ただタイにはお正月は3回あると言われています。一つは新暦の正月(1月1日)、2つ目は中華圏の旧正月「春節」(1月下旬~2月上旬)、そしてタイの旧正月「ソンクラーン」(4月)です。
そして祝賀の盛大さについてタイの方に尋ねたところ、自国の正月ソンクラーンが一番盛大で、華僑が多いタイでは2番目が旧正月、そして3番目が新暦の正月のようです。ソンクラーンはお清めの意味を持った水掛け、そして旧正月は大掃除やタイのミカンを交換する習慣があるとのこと。またこの辺りも機会があれば今後見てみたいと思います。
さて今回はタイの新暦のお正月ですが、12月31日には様々な場所でカウントダウンイベントが催されていました。ちなみにタイではクリスマスのイルミネーションはクリスマス後も撤去されません。クリスマス用のツリーやイルミネーションとともに新年を祝うという形になっており、それもこちらには新鮮でした(笑)
さて年末はせっかくなので私もタイ観光局主催のカウントダウンイベントを訪問してみることにしました。場所は王宮近くのワット・アルンの対岸にあるナガラフィロム公園です。夕日が沈む頃に到着するとタイの方だけでなく、外国の観光客も多く集まっていました。
チャオプラヤー川を挟んだ舞台上ではコーンというタイの伝統的な演劇、チャオプラヤー交響楽団による交響曲の演奏、タイの歌手によるコンサートなど、多くのパフォーマンスがありました。豪華なライトアップの演出もあり、とても素敵なステージでした。
また会場には多くの飲食店の屋台が出ていましたが、お正月ということもありタイの伝統衣装を纏って伝統食や伝統工芸品を売っている屋台があったのが印象的でした。
私は20時頃には帰宅しましたが、日付が変わる時間には、盛大な花火とカウントダウンが予定されていました。現在宿泊しているコンドミニアムからは日付が変わる時間帯に3箇所の花火をみることができました。
また年末年始にはタイでは多くの方が寺院に集まり寄付をされているのを目にしました。これは「タンブン」と呼ばれ、寺院へ寄付(喜捨)をしたり、僧侶へ托鉢の食事を持っていくなどして善行を行うことを指します。これにより”徳を積む”という習慣があるのです。また仏教について学ぶなども、このタンブンに入るとのことで、年末年始には多くの寺院が読経や、各種ワークショップを開催しており盛況となっていました。宿泊先のコンドミニアムでも、住民用の新年会では僧侶への托鉢の機会が設けられているようです。
さて年始にはタイのヴィパッサナー瞑想の先生方や実習仲間に混ざって、寺院で瞑想を行う機会に参加させていただきました。本堂の中で30分のグループでの瞑想を行いました。寺院本堂での瞑想では、普段の実習では得ることが難しい心が深く落ち着く感覚を感じることができました。
その後皆さんと一緒に食事の機会がありました。
そこに、“お父様が数日前に転倒し頭部損傷、昏睡状態でICU入室、医師から人工呼吸器装着などの延命治療を行うか否かの決断を数日以内に決めるようにと言われおり、決断に困っている”という方がヴィパッサナー瞑想の先生方へ相談にみえました。
そのやり取りの中で先生の言葉で印象的だったのが、「いのちにおいて大切なのは長さではない、亡くなる時の心の状態だ。」というものでした。いのちの長さにこだわるよりも、ご本人が最期により安らかな心でいられるような工夫をすると良いというアドバイスでした。
例えば口を通じての会話ができなくても心を通じて会話をすることができる、また本人の側で読経することで良い波動が伝わる、元気な時に不安にしていたこと、やり残したであろうことを「こっちでやりくりしておくから大丈夫だよ」と声をかける、など出来ることがあるとのアドバイスがありました。
延命処置について考える場合、もちろん少しでも長く生きてほしいという家族の思いもあると思います。しかし一方で延命措置中に続く身体的苦痛への懸念や、経済的側面を含む家族の負担もあります。タイでも医療費の高騰が起こっているようで、本日見えていた方も毎日のカード請求が多額で困惑しているとのことでした。また医療措置のみに頼った延命の必要性の有無についても議論に上がりました。
また、もう一つの先生の言葉で印象的だったことは、「この問題の決断に間違いはない。何を選ぶかよりも、その背景にある意図や思いが重要。」というものでした。何事も大切なことは心の在り方なのだなと再認識させていただきました。
さらに、この集まりで印象的だったことは、このようなシビアな状況でも、相談以外に談笑も交えながら一緒に食事を愉しめるタイ人の方の大らかさでした。仕事や試験勉強などをしていても、タイの方はどこかに余裕を感じるという印象があります。このような面は是非見習いたいと思う部分です。
今年の年末年始はBIAで開催されたPeaceful Delhiというグループによるワークショップ参加や、今回の相談などを通じて「死」について考える機会が多くありました。しかし死について考えることは、生きることについて考えることだと感じています。偶然ですが、この日皆でお茶をしたタイのカフェでも一番目立つ場所に『 Living is Dying』『HOW WE LIVE IS HOW WE DIE』という本が並べられていました。
そもそも私がヨーガを始めたのも、看護師として大学病院の慢性期病棟で働いていた時のことでした。ターミナル期の患者さんと接する中で、職場でも、勤務が終わって自宅に帰ってからも涙が出てしまったり、若い患者さんからの「なぜ私が?」という質問に答えられず悩むこともありました。当時のストレス解消法は、友人との飲み会(1人晩酌も)、合コン、ジョギング、外出など、とにかく辛いことを考える間もないくらい動き回ることでした。当時はそれで何の疑問もなく過ごしていましたが、そんな時にヨーガに出会い色んなことが変わり始めました。
日本も石川県能登半島地震や羽田空港事故で始まる身も心も引き締まるような思いで始まった1年でありますが、この事象を通じて人生について改めて考え、日々大切に生きていきたいと思った次第です。本日も本当にありがとうございました。
こちらはオマケ写真です、、、